Skip to main content

在日韓国商工会議所 兵庫のメンバーインタビュー。
記念すべき第1回目のメンバーは当会議所の常任顧問である宋玉植常任顧問となります。

兵庫韓商に入られたきっかけは

20代後半の頃だったと記憶してますが、当社の創業者でもある父から「40歳ぐらいになったら韓国人商工会に入っていろいろ勉強しなさい」と言われました。当時は「兵庫県韓国人商工会」という名称でした。その後40歳のときに、後に姫路納税経友会の初代会長となる中村正根(陳正根)さんや牧守(李守海)さんから休会中の姫路韓国人商工会の再建と新しく姫路納税経友会の設立に関してお誘いがありました。それが私が韓商組織に参加するようになったきっかけでした。その後、本部(兵庫韓商)の役員としてこれまで参加させて頂いています。

■2008年から2016年まで兵庫韓商の第8代会長職を務められましたが、印象に残っていることは。

会長就任は2008年5月です。私の本業は製鋼原料加工販売業、鉄スクラップのリサイクル業です。就任当時はスクラップの単価は比較的高く1トンあたり7万円ぐらいの相場でした。ところが、就任直後の9月頃にリーマンショックがあり7万円の単価が1万円、7分の1に大暴落しました。
当時、当社には2万トンほどのスクラップ在庫がありましたので、1トン当たり6万円の損害ですから、たった3ヶ月で12億円ぐらいの大損失となりました。さらに当社は鉄スクラップ収集・運搬用に30台ほどの大型トラックを所有していますが、リーマン危機当時は仕事も激減し30台のうち2~3台しかトラックが稼働しないなど、在庫の大損失と売上減のダブルパンチでした。その様な厳しい状況下で韓商事業も推進しないといけなかったので就任当初は本当に大変でした。
このリーマン危機から元に戻るまで約7年かかりました。私の会長在任期間は8年ですので、一言で言えばリーマン危機とともに歩んできたといえるかもしれません(笑)。それほど大きな試練でもありました。

 

■会長在任中の2011年3月に東日本大震災が発生し、兵庫韓商でも積極的な復旧・復興支援活動を推進されました。当時、御社でもトラックを支援車として出動するほか、多額の義援金や支援物資のご支援されました。

在任中に発生した東日本大震災とその後の復旧支援活動は印象に残る一つです。
私たち兵庫韓商は、1995年の阪神淡路大震災時に全国から支援を賜ったこともあり、東日本大震災からの復旧・復興に際しても、兵庫韓商組織として組織を挙げて参与させて頂きました。兵庫韓商メンバー全体での義援金額が約2,200万円、その他に兵庫青商と協力して自動車・バイク、食料・飲料品・日用品など約1,040万円の支援物資活動をさせて頂きました。また私も被災地(宮城県東松島市など)に3回行き、復旧状況の聞き取りや支援物資の伝達、また東北地方の韓商メンバーとの懇談を行うなど被災地の復興に少しでもお役に立てたのであれば良かったと思っています。
また今回、ウクライナから兵庫・神戸に避難されてきた方々に対しても義援金とマスク1万枚を支援させて頂きましたが、震災からの復興支援と同じで、戦災という辛い状況におられる方々に対しても少しでもご支援させて頂ければと思っています。

入社から社長就任に至るまで

当社は昭和27年(1952年)に姫路市で父が「薪浦商店」(姫路市飾磨区中島)として創業し、昭和47年(1972年)に「マキウラ鋼業㈱」(姫路市飾磨区英賀保)として法人に改組しました。
私は19才で薪浦商店に入社しました。その後、私が22歳の時にこれまでの本社(下野田)以外に新しく規模の大きい工場の建設を父に依頼し、現在の本社となる広畑工場を設立、私が広畑工場を任されました。その後、広畑工場に本社を移転し、私も専務として従事していました。私が28歳の時に父が大病を患い、その後は仕事もあまり無理できず療養生活が続きました。そして約2年後に父が亡くなり、後に私が代表取締役に就きました。ちょうど30歳の時でした。
現在では20代から起業する青年も多くいますが、当時、30歳の若さでの代表取締役就任なので取引先や関連業者などから不安がる声もあったようですが、私自身はその間、実質的には代表の業務をしていましたので、代表就任後は父親が創業し育んできた会社をしっかり“守り”“固め”そして“発展”させる気持ちでいました。

■長い期間の経営において転換点みたいなものはありましたか。

一つは先ほど申し上げた広畑工場の建設です。当時としても大きな規模の工場でしたし、重い決断と責任を引き受けるものでした。
もう一つは、代表就任後しばらくして大型のシュレッダー機を導入したことです。兵庫県で2番目で、全国的に見てもまだ20社もシュレッダー機を導入していなかった時代でした。導入には大きな設備投資が必要で、社内でも反対・慎重意見もありましたが、今後、当社が鉄スクラップ業を営み、事業を拡大・発展させるためにも、このシュレッダー機の導入は大きな“ニーズ”と強い“武器”になると確信し進めました。
シュレッダー機の導入以前は、自動車などの鉄スクラップをギロチンシャーという大型のプレス式剪断機で切って、それを製鋼メーカーに納めていました。しかしその方式では座席シートがむき出しになるなど全部ダストになったり、歩留まりも悪く、製鋼メーカーからも多くのクレームが来ました。しかしシュレッダー機では、自動車やOA危機などを細かく粉砕し、鉄・非鉄金属・ダスト等に分別できる利点・強みがあります。また近隣の同業者もシュレッダー機を導入するというので、それならこっちも負けてられないとライバル心もあったと思います。さらに生前に父親がシュレッダー機導入に理解を示してくれていた事も後押しにもなりました。

 

■シュレッダー機導入後は作業効率が上がり、会社の業績拡大にも繋がりましたか。

はい、効率・業績ともに拡大しました。当社では昭和56年(1981年)に初めてシュレッダー機を入れ、その機械がかなり老朽化したので平成18年(2006年10月)にドイツ製の機械を新設しました。
現在、当社の機械の多くはドイツ製です。ドイツ製は耐久性もあり、よく工夫もされていて性能も良いです。物流などにより部品の調達コストが高くなることはありますが、そのコストを含めたとしてもドイツ製が良いと考えます。
私自身も機械導入にあたっては、実際ドイツに行って機械の製造過程や稼働しているシュレッダー機も見ましたが、30年近く使用している機械でも問題なく稼働していました。ドイツ製以外だと耐久性・性能などは難しいかもしれませんし、リプレースするとかえってコスト高になると思います。

■平成28年(2016年)に㈱玉岡マテリアル社を引き受けられ規模を拡大されました。

玉岡会長は韓国民団の関係等で昔からよく知っていましたし、当社と同地域・同業種として長らく事業を続けてこられていました。玉岡会長からも相談があり、結果的に入札形式で当社が譲受することになりました。現在は本社(姫路市飾磨区英賀)と中島事業所(同中島)、鳥取事業所(鳥取市古海)、そして港ヤードの4つの所在地となっています。

■最近SDGsや環境問題が浮上している中でリサイクル業が注目されていますが、御社はどうでしょうか。

当社ではSDGs(持続可能な開発目標)にある17の国際目標において6つの目標を進めています。
※以下はSDGsに対してマキウラ鋼業が取り組む6つの目標

  • 教育:質の高い教育をみんなに
  • 成長・雇用:働きがいも経済成長も
  • 都市:住み続けられるまちづくりを
  • 生産・消費:つくる責任つかう責任
  • 気候変動:気候変動に具体的な対策を
  • 海洋資源:海の豊かさを守ろう

昨今、世界人口の増加、地球温暖化によりサステナブルな社会の形成が求められる時代となりましたが、当社はこの時代が求めるずっと前からリサイクルに携わってきています。一度不要になったモノを再生・リサイクルする企業として、地球規模の大きな問題を一つ一つ解決していく事が当社の大きな使命だと考えています。

 

■書道もされていますが、それはいつからでしょうか

66歳の時に始めて6年になります。同級生が近所で書道の師範をしており、6年前から1か月に2回そこの教室で教えてもらっています。今では週に5日は書画をしています。絵画は描くのも片付けもすごく時間がかかりますので最近はほとんど描いていません。書画なら早いときには片付けが2~3分で終わりますし簡単です(笑)。

■現在は会長職で、ご子息が代表を継がれています。

薪浦商店の創業から70年、そして法人設立から50年を節目に代表取締役社長から取締役会長になり、専務を務めていた息子が代表取締役社長に就任する人事を行いました。これからも私なりにサポートはしますが、社長には大きく変化する時代と経営環境において、若い感性と行動力を強さに、“企業は人なり”を軸に据えて、今後の事業経営を担ってほしいと思っています。

事業経営とは

難しい質問ですね。ただ一つ確信を持っていえるのは人に迷惑をかけないことだと考えます。先ほども言いましたが、出入り業者は大事なパートナーです。仕事をあげているだとか下請けという位置ではありません。鉄スクラップ・リサイクル業という事業を通じて、良い時も悪い時もパートナーとして共に歩み、互いに発展し、そしてお世話になっている地域社会にお返し・貢献することだと考えます。

■ホームページを見ている人へのメッセージをお願いします。

何事も勉強、“学ぶ”ことが大事です。学ぶことによって、自分自身が感動もするし、感動することによってエネルギー、行動力に繋がります。昨今はネットに情報が溢れ、すぐに簡単な情報がとれるようになりましたが、それはあくまでも第一次情報にすぎません。そこから更に学び・深めることを通じて、思考力となり行動力に結びつく学び方が大切だと考えます。
私は「一生勉強」「一生感動」「一生青春」というこの言葉が大好きなんです。これからも、生涯かけて勉強・感動・青春を全うするつもりです(笑)

Who am I

マキウラ鋼業㈱ 会長
宋玉植

○本社
〒672-8078 兵庫県姫路市飾磨区英賀字東浜甲1960番地-5
TEL (079)234-5111(代)  FAX (079)234-5013
○創業/会社設立
創業)昭和27年 8月 1日  会社設立)昭和47年 8月 1日
○代表者
代表取締役 薪浦 州平
○資本金
3000万円
○業種
製鋼原料加工販売、資源再生業、産業廃棄物収集運搬及び中間処理、一般廃棄物中間処

○従業員数
140名
○主な取引先
【国内】ヤマトスチール㈱(直納)、JFE条鋼㈱(直納)、東京製鐵㈱、日本製鐵㈱、
【国外】POSCO、現代製鉄、世亜BEスチール

http://makiura-steelwork.com/